出会い系の女
長文になる事を予めご容赦ください。 私は映像や音楽を制作する小さなスタジオを細々と経営しているのですが、最近は様々なクリエイターが自らコンテンツを制作して動画配信サイトなどで公開するようになってきたこともあり「スタジオに籠って音源を制作する」なんていう需要は目に見えて減っています。 経営難を乗り切る為に、磁気テープに保存された昔の映像や音声データをデジタル化する仕事も始めたのですが、最近ではこちらの方がスタジオを使用する主な業務になっています。 ストリーミング配信が主流となった現代では、音楽や映像コンテンツを個別に楽しむためにCDやDVD、Blu-rayといった物理メディアを購入するという経験すらした事がない若者も少なくないので、私のようなおじさんは時代に取り残されていく焦りや悲哀すら感じてしまいますが、そんなDVDやCDが生まれる前には、磁気カセットテープに映像や音楽を記録したものでコンテンツを楽しむのが当たり前でした。 もしかすると皆さんの実家やおじいちゃんおばあちゃんの家には昔のVHSや、さらに古い8mmフィルムなんかが残っているのではないでしょうか? そういった磁気テープは、デジタル化されたデータと違い、保存されていた環境の影響を強く受けるので、カビてしまったり、ヘッドと物理的に接触するためテープが切れてしまったりと、経年劣化は避けられない大きな問題です。 昭和初期の家族の団欒や街の雑踏を映した歴史資料としても貴重な8mmフィルムを始め、家庭用ビデオカメラが普及し始めた頃には、各家庭のお父さんがこぞって我が子の運動会を撮影したVHSといったメディアは、人知れず日本中に沢山残っていると思われます。 懐かしい映像を見てみたいのだが、テープが擦り切れていたり、再生するビデオデッキ自体が無いというご家庭も少なくないので、依頼があればそんなテープをお借りして、映像の乱れや音声の劣化を調整してデジタル化し、いつでも気軽に昔を偲んでいただけるようにしているのですが、亡くなったご家族の思い出が蘇って嬉しそうにされている依頼主の姿を見ていると、こちらも本当にほっこりします。 さて、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、そんな業務を毎日やっていると、何ともおかしな映像に出会うことがあります。 依頼主の若かりし頃と思われる夫婦喧嘩を襖の隙間から子供が撮影しているようなものや、詳述するのは憚られますが、いわゆる個人撮影のポルノ映像のようなものまで。 そのうちの一本が、私の人生で最も戦慄した内容だったので、映像に映った人物や依頼主の尊厳に出来るだけ配慮しつつ、簡単にご説明したいと思います。 事の始まりは、齢70代ほどの男性が持ってきた一本のVHSでした。 その男性は、ガジェット好きの第一世代とでも言いましょうか。パソコンが家庭に普及する1970年代の黎明期には給料の大半を注ぎ込んで機器を揃えプログラミングに没頭していたような経験の持ち主で、映像や音楽の記録媒体や再生機器についての知識も、一応プロとして仕事にしている私でも恐れ入る強者でした。 そんな男性ですら「どうにもならない」と音を上げて持ってきたのがそのVHSだった訳ですが、テープの冒頭数十秒だけかろうじて再生出来るのだが、酷く乱れた映像には、どうやら長年連れ添ってきた奥様に出会う前に交際していた女性、いわゆる元カノが映っているようだ、と。 流石に数十年越しで妻にこんな映像を見せる訳にもいかないけど、かといって捨てるのも忍びないし、そもそもこんな映像を撮影した記憶が全く無いので、なんとか復元して一度だけでも見てみたいのだ、と。 果たしてそれほどのスキルを持った男性がどうにも出来なかった映像の復元が可能なのか不安もありましたが、男性が気恥ずかしそうにしている姿を見て、個人的な興味にも駆られたので、あくまで復元が成功した場合のみ報酬を受け取るという形にして仕事を引き受けました。 早速その日の夜にビデオテープを専用の端末にセットし、再生を始めたのですが、映っていたのは20代くらいのデニムパンツに花柄のシャツを着た綺麗な女性がビジネスホテルの部屋らしき殺風景な空間に置かれたベッドの縁に腰掛けている姿でした。 女性は両手を膝の上に乗せ、背筋を伸ばしてしばらくカメラ見据えていました。そして、その口が少し開きかけたところで映像がコマ送りのように乱れ始め、「ブー」というノイズと共に、映像の下半分がぐちゃぐちゃになったり、今度は上半分が乱れたりという状態になってしまいます。 VHSは、磁気テープに信号が記録されるのですが、記録された状態をトラック(道路や線路のようにお考えください)と言います。 今日のデジタルデータと違い、再生するビデオデッキという機器のヘッドと言われる部分とテープのトラックがピタリと合わないと、コマ送りの映像がズレてしまい、上へ下へと画像が流れたり崩壊した像を結んでしまいます。 各ビデオデッキメーカーはユーザーが自分でトラックを調整できるよう「トラッキング」というつまみやスイッチを取り付けて、映像が綺麗に再生出来るように工夫しましたが、時代が進んでビデオデッキが市場から姿を消すと共に、家庭に残された古いカセットテープは劣化し磁気を帯びてしまい、何とかビデオデッキを手に入れて、いくらトラッキング調整をしても再生がうまくいかないというパターンが増えてきました。 プロとして映像復元を生業にしているので、トラッキングにまつわる異常に関しては業務用の専用機器による光学的アプローチ、またソフトウェアを使ったデジタルでのアプローチで、ほぼ完全に修復できるのが売りなので、早速取り組んでみました。 女性が映った映像は徐々に乱れが収まり、それと共に音声が聞こえるようになりました。 上述したように、女性はカメラを見据えたまましばらく押し黙っていたのですが、やがて口を開き、自分の名前とその日の天気、当時流行っていたであろうバンドのコンサートについて淀みなく話し始めました。 これだけなら特におかしな映像ではないのですが、不気味に思ったのは映像が始まって3分程度経過した頃からでした。 女性は突如、足をベッドの下に下ろしたまま、両手を万歳のポーズで掲げ、上半身だけで腹筋をするように何度もベッドに背中を付けては起き上がるという奇妙な動きをするようになったのです。 この動きを実際にされるとお分かりいただけると思いますが、足を何かで保定しておかないと、起き上がる時にどうしても両足が浮いてしまい、反動をつけて腹筋するような形になってしまいます。 しかし映像の女性は、床にピタリと足をつけたまま、上半身だけが跳ねるように強烈に動いています。しかも、その間も女性は何気ない言葉を発し続けており、その声色は体の動きと相反して静かで淡々としており、息が上がった様子も無く、まるで映像とは別にアフレコでもされいるようでした。 ここで私は編集ソフトの音声波形データに見落としがあることに気づきました。 それまでステレオで録音されていると思い込んでいた音声が、実はLchとRch(左音声と右音声)で別な波形を示していることに気づいたんです。 映像の乱れが回復すると共に聞こえるようになったのはLchのみで、Rchはミュートされている状態でした。 そこで信号出力をRchに切り替えた瞬間、モニタースピーカーから耳をつんざくような音が鳴り、心臓が止まるかと思いました。 その声とも音とも形容し難い音は、人が「あああああああああああああ」と叫ぶ声を幾重にも多重録音し、強く歪ませたようなものでした。 ボーカルが見事なデスボイスを聴かせてくれるバンドの録音にも携わり、爆音には慣れている私でも、吐き気を催すような不快な音がスタジオを満たし、目眩を覚えながらモニタースピーカーへの信号出力を切ったのですが音は鳴り止みません。 凄まじい悪寒を感じながらスピーカーのケーブルを引きちぎるように抜いたのですが、その音は消えませんでした。 恐らくその直後に失神したのだと思いますが、意識を失う直前に私が見た映像は、両手を上に掲げた女性が、髪を逆立て、目を剥いてこちらに向かって叫んでいる姿でした。 再び乱れたトラッキングのせいか女性の姿はカクカクと歪になり、2枚程度で作られた粗いGIF画像のように起き上がっている姿と倒れ込む姿を高速で繰り返していました。 しかし、その恐ろしい顔だけは実にはっきりとこちらを見ているのです。 恥ずかしながら年甲斐も無く気絶していたのが数分なのか数時間なのか覚えていないのですが、スタジオで一緒に働く同僚に肩を叩かれて目を覚ました時の、同僚の決まり悪そうな表情が忘れられません。 「何を見てるの?」彼は怪訝な顔でモニターを見つめていました。 そこに映っていたのは、さっきまで編集していたホテルの一室らしき空間とベッドなのですが、若い女性が座っていたはずの白いシーツには、万歳の形で手を伸ばした人型に見える赤黒いシミのような物が映されているだけでした。 そのシミはベッドの縁を伝って女性が足を置いていたカーペットの上までべっとりと伸びて、はっきりと分かる足形を残していました。 「はて、彼女は裸足だっただろうか?」 私がその奇妙な映像を見てぼんやり考えたのはそれだけでした。 事の経緯を同僚に説明し、映像を巻き戻して見ても、もはやVHSには気味の悪いシミの付いたベッドが延々と映し出されているだけで、録画は途中でプツンと切れていました。 「そういう事もある」 比較的達観した同僚の声もあり、私はそれ以上そのVHSについて考えるのをやめました。 依頼主には映像が修復出来なかったと伝え、テープをお返ししました。 男性は非常に残念そうにされていましたが、私としては何かとんでもない過去を掘り起こしてしまう気がしてならなかったので、処分することをやんわり勧めておきました。 取り止めの無い文章になってしまいましたが、最後まで読んで下さり、ありがとうございました。 皆さんも、もし実家などに眠っているホームビデオがあれば、取り返しが付かないほど劣化する前にデジタル化するのをお勧めします。
